まだ終わってはいないし、何も整理がついていないのだけれど、宙に浮かせたままでいるのも気持ち悪いので、自分のために記しておくことにする。
2011年3月11日に起きた地震のことだ。
当日は編集者、デザイナーと3人で打ち合わせをしていた。高田馬場の古いビル。2階の喫茶店。もう数年したら60歳に手が届かんとしている編集者が、
「俺が高校生の頃から通ってた店なんだよ、ここ」
と言って笑っていた。それくらい古いってことだ。
打ち合わせをはじめて30分も経たないうちに最初の揺れが来た。大きくて、今まで感じたことのない揺れだったけれど、まだ「ちょっと大きな地震が来ただけ」だと思っていた。
そのあたりはTwitterでのつぶやきからも読み取れる。
posted at 14:09:19
今から馬場で打ち合わせ〜。posted at 14:50:18
地震!!posted at 14:56:22
ひー!posted at 16:05:19
高田馬場の古い喫茶店。MacBook Proを閉じたり開いたり。posted at 16:50:05
高田馬場駅前。バスとタクシーはすごい行列。
http://yfrog.com/gzqovajposted at 17:58:42
高田馬場から下落合の友だちの家に歩いて移動。人がいっぱいあるいてた。
http://yfrog.com/h32v5pfjposted at 18:00:17
下落合駅前。電車止まってた。
http://yfrog.com/gy73mogjposted at 19:53:08
僕は友だちの家に落ち着いて、今日はこのままやっかいになるかもです。お互いに余震等、注意しましよう。
まあ、のんきなもんである。寒い中少し慌てて歩いて、途中でやや気分が悪くなったものの、写真を撮りツイートしながら移動している。
それでも喫茶店の中では、これまでになかった恐怖を感じた。1ヵ月ほど前に起きたオーストラリアでの地震で崩れ落ちた建物のことが頭をよぎったからだ。本当に「来たか!?」と思った。
笑われてしまうかもしれないが、小さな覚悟が必要なぐらいの恐怖は感じたということだ。
事態が把握できたのは、友だちの家についてテレビをつけてからだ。画面に映っている光景がCGのように見えた。陳腐な言葉かも知れないけれど、なんだか現実とは思えなかったのだ。
たびたび起きる余震に不安を抱きながら、テレビを見続けた。Twitterからも情報を集めた。時間を追うごとに被害の大きさがわかり、言葉が出なかった。
こんなに心が押しつぶされるような気持ちになったのは、はじめてかも知れない。いや、mojoも年を重ねているからそういう経験はいくつかしてきているのだけれど、それらとも異質の重苦しさを感じた。
ひょっとしたら東京に住む人たちの多くは、似たような心境になっているのではないだろうか。阪神淡路大震災の時も「かわいそう」とは思っても、この種の重苦しさは感じていなかったのではないか。
中越地震や奥尻の津波の時、さらに映画のようにしてみた湾岸戦争だってそうだったのかも知れない。
今回、はじめて自分の身に危険が迫り、「ああ、そうだったんだ」と気づいたこと。いっぱいあるんじゃないか。
もちろん家を失い、家族を失った人たちの悲しみや苦しみと比べるべくもないものだというのは承知しているけれど、この日感じたことは忘れずに頭の中にしまっておこうと思う。
そして、時々取り出しては確認するんだ。気づきが違う形になっているかもしれない。それをまた感じよう。
こうして、計画停電にもまだ入っていない23区内で暮らし、ちょっと買い物が不便ではあるけれど、ほぼ地震前と変わらないような生活を送っているような者は、まだまだ甘いんだろうとは思う。
でも、あれ以来いっぱい考えた。いいことも悪いことも、役に立ちそうなこともムダなことも。拒否しようとしても頭が勝手に考える。
考えた末に、何も残らないということだってあるだろう。それはそれで、いい結論なのかもしれない。答えなんてあるのかどうかもわからない。
ただ、3月11日は地面だけじゃなく、日本中のヒトの頭を揺さぶった。わしづかみにして揺さぶったのだ。それだけが間違いのない事実である。
あの日、悲惨な映像の繰り返しに嫌気がさし、テレビを消した。夜中の2時。代わりに友だちが地震で棚から転げ落ちたDVDの中からザ・バンドのラスト・ワルツを流しはじめた。
何度も見た映像。演奏。顔ぶれ。
「この時さあ、○○だったんだよね」
「そうそう、確か○○がさ……」
DVDを見ていた2時間ほど、まるでただ友だちの家に遊びにきて、DVDを観ながら馬鹿話をしている、そんな時を過ごすことができた。
不安な状況から少しでも逃れたくて、情報を遮断した状態が心地良かったんだと思う。でも、音楽っていいなと心から思った。
家に戻って一人でいる時も、スピーカーやイヤフォンから聞こえてくる音楽が、
「まあまあ、落ち着けよベイビー」
と言ってくれる。
地震以来、テレビは一日に何度か確認する程度しか見なくなってしまった。雑音が多過ぎるからだ。それにテレビは「落ち着けよ、ベイビー」と言ってくれない。
「ヘイ、調子はどうだい?」と肩に手を置いてもくれない。
意味のない分析と知識と、ドラマ仕立ての映像の洪水の中から、自分に必要な情報だけを切り取ってひき出すのは本当に難しい。だったら、情報に接するのは必要最小限にして、自分にできることを模索していたほうがマシだ。
ずっと自分が揺れているような感覚がとれない毎日だけど、深呼吸して歩き出す。息苦しくなったら、立ち止まってまた深呼吸すればいい。
手術した時だって最初は体を起こすことすらできず、ベッドに埋もれたままで、どうなることかと思っていた。
それでも時が経つにつれベッドから起き上がれるようになり、次は点滴棒につかまりながらも廊下を歩けるようになった。やがて点滴が全て外れ、傷だらけの体にはなったが今はシャバの空気を吸っている。
治ろうとする体があり、気力が萎えなければ、時間はかかるかもしれないけれど、やがて立ち上がることができる。その時、痛切に感じたことだ。
今、心がひしゃげている人にがんばれとは言わない。でも、
「ヘイ、調子はどうだい?」
とは言ってあげたい。肩に手を置いて「ヘイ!」と。
大丈夫、ゆっくり深呼吸しようぜ。
コメント
あれ以来取れるだけの情報を取り続けてます。
それくらいしかできることがなくて。
そんな受け止め方もあるのかなと。
でも、寝ても覚めても悪夢のようだね。
△Elanさん
どもです。僕はテレビを見続けたら心が壊れるんじゃないかと感じてしまいました。
情報は取捨選択ができる人には多くても構わないけれど、そうじゃない人にとっては混乱の元になるのではないかと思います。
見極めができない場合は、むしろ危険かなと。
わしづかみにされて揺さぶられた…、同感です。
そして、テレビの報道は見ていませんが、Twitterで、文字で散見するだけでもいたたまれない思いにかられるのに、実際にそれを目にしていたら、更に変に動揺しそう。
被災者や、原発の状況がとにかく早く落ち着くよう、ただ今はそれを願うだけです。
△anna_rougeさん
早くみんなが安心して、あの池袋の夜みたいな楽しい時間を過ごせるようになるといいですね。