AppleWatchが発売された。TwitterやFacebook、RSSに入ってくる情報でも、この何日かはグンとその量が増えている。
そんな騒動を横目で見ながら、腕時計のことを考えていた。AppleWatchが果たして腕時計なのかどうかわからないが、AppleがWatchと言っているので、一応は腕時計の範ちゅうに入れてもかまわないだろう。
腕時計は昔、大人のものだった。今でもそうなのかも知れないけど、大人のするものだった。今と違って時代がノンビリしていたから、子どもが時計を必要とすることもなかったし、今よりもずっと高価だったせいで、大人しか買えなかったという事情もあったのだろう。
そんな腕時計だが、mojoの周囲では高校に上がるタイミングで購入するという習わしがあり、それがみんなの楽しみでもあった。
mojoも例に漏れず、中学を卒業すると喜びいさんで時計屋さんに走った記憶がある。貯めたお金をはたいてSEIKOの2万円位の腕時計を購入した。
緑色の文字盤がピカピカ光った新品の時計を腕につけると、ちょっと重たくてなんだか大人になったような誇らしげな気がしたのを覚えている。
ところがそんなに楽しみにしていた腕時計なのに、それはほんの3ヶ月ほどmojoの腕に巻かれていただけで、すぐに離れていった。
理由はたいしたことではなく、結局腕に何かをつけているという感覚に慣れなかったのだ。そして慣れる前につけていることが嫌だと思ってしまった。
それから現在にいたるまで、腕時計をしたことがない。時間を知りたかったら街にはいくらでも時計があったし、駅やパチンコ店や、いろんなお店を覗いては時間を確かめていた。
人に聞くこともあり、以前は腕時計をしていないと驚かれたものだが、最近はそんなこともなくなった。腕時計をめぐるいろいろな状況が変わったからだ。
まず、ものすごく安価な腕時計が出回るようになった。1,000円位で、それでも時間の狂わない時計が出回るようになったのだ。1980年代の半ばぐらいだろうか。
それからはそういう時計を購入して、カバンのどこかにくくりつけておくようになった。壊れたらまた安いのを購入して交換していたのだが、何度も購入した記憶がないので、安くてもそれほど壊れなかったような気がする。
そしてそんな時代も過ぎ、やがて携帯電話が登場すると、そこに時計機能がつき、時間は携帯電話で確認するようになった。もちろんiPhoneが登場してからはその役割はiPhoneがこなしている。
結局のところmojoが生涯で腕時計をしたのは高校1年生の4月から長くても7月ぐらいまでの数ヶ月だろう。もっと短かかったのかも知れない。
そして今Apple Watchと言う最先端の腕時計が登場した。腕時計と言うにはまったく別のものなのだが、それでもこれを腕につけて過ごすことはないだろうなと思う。
かつての千円時計みたいにカバンにくくりつけておくか? とも思うが、それだったら別にApple WatchじゃなくてiPhoneでもiPod touchでもいいのかなとも思う。
そんなわけでApple Watchは買わない!
いや、もうちょっとだけ大人になれたら考えてもいいかな……と心だけは開いておこう。
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