入院1日目 大動脈瘤破裂! 苦しくて、苦しくて……

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●予兆はあったのか?

2013年8月28日に心臓バイパス手術と上行大動脈瘤の手術から退院し、自宅で静養していた。

回復は順調で、2週間、3週間と日が経つうちに動きもかなり軽やかになり、息が上がることもなくなっていた。

ただ、唯一気になっていた点がある。それは倒れる1週間ほど前から、やや血圧が上がっていたこと。

mojoの血圧はこの10年、ほぼ120台で安定している。それがこのところ140 – 150台が出たりして「あれっ?」と思っていたのだ。

深呼吸をして再度はかると130台ぐらいに下がるので、それほど心配はしていなかったのだが、気にはなっていた。

幸い1週間後に病院へ行くことになっていたので、そこで相談しようと思っていたのだ。

それからもうひとつ。倒れる数日前から背中になんとなく痛だるい感覚があった。といっても、「ちょっと肩がこっちゃってさあ」というぐらいのだるさ。これが予兆だったとすれば、たいていの人はまず気づかないだろう。

そして退院からちょうど1ヶ月経った2013年9月28日、突然それはやってきた。

●救急車を呼ばなくちゃ!

前日、いつもより数時間早く眠くなり、ベッドに入った。ぐっすり眠って起きたのが朝7時。寝坊助のmojoにしては、すごい早起きだ。

起きてみると昨日までの背中の痛みが強くなっていた。市販の痛み止めを飲んだのだが、痛くてたまらないというほどではなかった。痛み止めでやわらげてもらい、もう少し寝ようというぐらいの気持ちだった。

ところが薬を飲み、残っていたコップの水を飲み干した途端に背中に鋭い痛みが走ったのだ。「あれっ? おかしいぞ」と思っているうちに、痛みは強くなり、その場にひざまずいた。

「これはどうも普通じゃない」

そう思ったときには電話を持ち上げていた。一瞬の迷い。近所にいる友人に電話を入れるべきか、すぐに救急車を呼ぶべきか。頭のなかで逡巡する。

が、もう一度激しい痛みがやってきたときに、これはもう時間がないと察知し、119番を押すことにした。

救急隊が入って来られないと困るので玄関までなんとか歩き、ドアのカギを開けた。立っていると痛いのでしゃがみこみ、それから番号を押す。

ところが、なかなかかからない。いつも子機からは登録してある番号しかかけないことが多いので、押し方を間違えていたのだ。番号を押して、外線というボタンを押さなければならないのに、それを忘れていた。

何度も119番を押しながら、
「なんでかからないんだよぉ」
と口に出していっていた。焦る指先が、ボタンを押しながら震えている。何度目からのトライでやっと通じ、コール音が鳴ったときにはホッとした。

「どうしましたか?」
「朝、起きたら急に痛くなって、苦しくて」
「住所は?」
「○○区○○……」
「マンションの名前は?」
「あれっ、……」

なぜかマンション名が出てこない。おかしくなっていたのかな。結局、向こうで住所から調べてくれて、
「○○マンションですね?」

と突き止めてくれた。このあたりから、体は痛さよりも苦しさが増して来た。それと共に、意識も少し薄れていく。

電話をかけてからどのくらい時間が経ったのかわからない。気がつくと、ドアが開けられ救急隊員に囲まれていた。

名前は? 年齢は? 飲んでる薬は? いろいろな質問をされ、もうろうとしながら答える。隊員のひとりがiPhoneを見つけて持ってくる。ロックナンバーを聞かれ答えるが8月の手術以来、反回神経麻痺が出ていて声が出づらいため、聞き取りにくいらしく何度も言わされた。

さらに家族に連絡を取りたがるが、実は母は3日前にひざに人工関節を入れるための手術をして入院しており、兄がそれにつきそっていた。そこで近所の友人の名前を告げるのだが、これまた聞き取ってもらえず、何度も言うはめに。

このころにはもう苦しくて、声を出すのもやっと。担架に乗せられ、救急車に収容されても、息苦しさでたまらなかった。

横では隊員が友人に電話をかけている。友人によれば、家の留守番電話が一度鳴ったが切れ、たまたま知り合いと連絡をとるためにつけっぱなしになっていたiPhoneに救急隊から電話がかかってきたのだとか。

とにかくmojoが倒れたと。そして重篤であると知らされ、眠気が1秒でふっとんだと言っていた。そして彼女の長い一日が始まる。

実はこの電話は、mojoも救急車の中でもうろうとしながらも聞いていて、重篤という言葉に、

「ああ、俺重篤なのかな」

などと思っていた。また血圧が40なんて言葉も聞こえて、

「それは上の血圧なのか下なのか? いずれにしても低すぎるよな。どうなってるんだろう、俺の体」

と不安になりながらも、なんとなく冷静でもいた。それでも苦しさはおさまらず、増すばかり。あまり苦しくて隊員の体にしがみついたり、「どうにかならないの?」と叫んだのを覚えている。

ちなみにどうしてこれほど苦しかったのか。それは下行大動脈瘤が破裂し、血液が流出。左肺全体を血でおぼれさせてしまっていたからだ。

また大動脈瘤が破裂したのにもかかわらず、なぜ失神までに至らなかったのかというと、背中の側から血管が破れたことが幸いして、途中で完全ではないにしろ血液の流出が止まったからだそうだ。もし、前から破れていたらすぐに失神して助からなかっただろうと、あとで言われた。

●搬送、そして転院

本当は上行大動脈瘤を手術した病院へそのまま連れていってもらいたかったのだが、三次救急と二次救急の関係だったか、その病院へは連れていってもらえず、受け入れてくれる救急病院へと搬送された。

搬送先に着くと、点滴、酸素吸入、血圧測定などがなされるのと同時に、エコー検査がおこなれた。グリグリとお腹のあたりに機械が押し付けられるのが痛くて、先生たちが「ここから漏れて………」「これだったら……」と何か言っていたのだが、ほとんど聞き取れなかった。

それからCT検査。CTが終わると、また処置室みたいなところに運ばれ、着ていたものをすべて脱がされた。そして生のままオシッコ管を突っ込まれる。思わず「痛い!」と言ったら、看護師が「ゴメンね」と返してくれた。

この時、こういうのが嫌だとか痛いとかわかるぐらいぐらいだから、俺助かるかな、なんてことを思った。あとで聞いたら、まだぜんぜん危険な状態だったのだが。

そこに、なにやら紙を持った先生がやってきて言った。

「これから手術になるから。下半身が動かなくなったり、脳梗塞を起こすかも知れないからね。これ、同意書。サインして」

手渡され、ストレッチャーに寝たままサインする。ああ、ここで手術するのか。この病院の腕はわからないけれど、できれば夏に入っていた病院で受けたかったな。そんなことを思っていた。

そして手術室に入る直前、突然事態が変更になった。近づいてきた看護師が耳元で言う。

「○○病院に転院することになりましたから。これから医師が付き添いで病院に向かいます」

ああ、よかった。あとで聞いた話によると、双方の病院で連絡を取り合い話し合った結果、転院したほうがよかろうということになったようだ。

それからまた救急車に乗せられ、1ヵ月ぶりの病院へと向かった。

ちなみに友人にはまだこの知らせが届いていなくて、タクシーで最初の救急病院へと向かっていたのだという。そこでひょっとしたら転院になるかもしれないと予想し、病院へ電話をかけたところ、たった今出ましたという返事を得て、タクシーの行き先を変更したのだとか。

●緊急手術 下行大動脈瘤

病院へ運ばれると、外科の先生の中に知った顔がいた。

「mojoさん、これから手術することになりましたから」
「はい、よろしくお願いします」

こんな会話をしたような気がする。そして手術室へ向かう途中の廊下で、友人が駆け寄ってきた。右手を差し出しながら、笑顔で言う。

「大丈夫だから、頑張って帰ってきてね」
「うん、悪かったね。行ってくるから」

握手をした手がとても暖かかったのを覚えている。ちなみに友人は心配で泣きそうになっていたんだけど、無理して必死で笑っていたのだと、あとで教えてくれた。

そして手術室へ。準備室に入ると、前回入院したときの担当医N先生がいた。

「mojoさん、手術頑張りましょう!」

なんだか安心した。きっと大丈夫。帰ってこれそうだ。そんな気がした。

なんて本人は脳天気に思っていたが、友人は大変だったらしい。手術前の説明において、助かるかどうかも微妙で、もし助かったとしても下半身不随や脳梗塞になる可能性があると聞かされ、パニック状態なのにそれでも何枚もの同意書にサインさせられ、どうしようかと思ったとか。

さらにmojoの実家になんて電話を入れていいのかわからず、しばらくかけられなかったらしい。

手術は午前9時ごろはじまり、午後3時〜4時ぐらいに終わったのだという。先生の説明によると、緊急手術のわりには、そしてそうとう難易度の高い手術のわりにはスムーズに進んだらしい。そしてその時になってはじめて、命に別状はないだろうと友人に告げられた。

この間、友人は吐きそうでたまらなかったそうだ。心配、緊張感、プレッシャー、いろんなものが彼女を押しつぶすようにのしかかって、そうしたのだろう。自分の友だちに電話をしたら駆けつけてくれて、手術中いっしょに待っていてくれ、なんとかしのいだという。

この日のことを後日二人で話した。mojoが、

「あの苦しさはあなたにも、家族にも友だちにも、他の誰にも体験させたくないよ」

というと彼女も、

「あの心配を誰にもさせたくない」

と言った。本当に心配をかけたね。ごめんね。

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コメント

  1. ちびっこ より:

    初めまして。
    “胸水”から御ページを拝見し、救急~搬送~手術~重篤さが他の方に伝わって心配をかけてしまうこと等 同感する部分がありました。
    特に…
    当方、深夜にCCUにて遠方の母に「お嬢さんの命の保証は出来ません」という電話をカーテン越しに聞いてしまい、母の胸中を考えると身体の痛みより心が強く痛んだ事を思い出し、今生きていられるのが医療従事者各位並びに知人・友人の理解やフォロー、親族の暖かみの賜であると再認識しました。

    その後、お具合はいかがでしょうか?
    時節柄、体調が気候に左右されてしまいますので、ご自愛なさってください。
    長文失礼しました。
    ありがとうございました。

  2. mojo より:

    △ちびっこさん
    はじめまして。コメントありがとうございます。

    なってしまったものはしょうがないのですが、やはり周りの者に尋常でない心配をさせてしまったことは今でも心を揺らします。

    体の方はなんとか復調し、天候や気温にほんろうされますが、日常生活は不便なく送ることが出来ています。ちびっこさんもお体を大切にご自愛下さい。

    近況報告などをときどき書いておりますので、またヒマな時にでもお読みいただけたらうれしいです。

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