いつかの桜

  
桜の季節に心がソワソワするのは、きっと日本人の遺伝子に桜と結びつけるなにかが埋め込まれているのだろう。

そうでないと、この季節に限ってやみくもに街を歩きたくなる衝動の原因がわからない。例年なら、とりつかれたように歩く1日があるが、今年は天気と開花のタイミングで、なんとなく衝動の目盛りも小さめだった。

桜の季節になるとおもしろいのは、ある日突然、ポッ、ポッ、とピンク色の花びらが、ビルの谷間や家々の屋根、木々の間から浮かび上がり、急に存在感を示すことだ。

ああ、そんなところにもあったのか。残りの11ヶ月半は、そぶりも見せずにたたずんでいるくせして、突然にみずからを主張しはじめるのだ。そんな変化がおもしろくて、あっちのピンクを追い、こっちのピンクを追い、しているうち行ったこともない場所で、夢中になって桜を眺めていることがある。

あるとき思わず立ち止まってしまった桜は、古い洋館づくりの家とマッチして、なんともいえない雰囲気があった。

あまりに入れこんで見とれていたために、そばに老齢の女性が立っているのに気づかなかったほどだ。あわてて足下を見れば、mojoの体は完全に邸宅に浸入している。

「ごめんなさい。勝手に入り込んじゃって」

すると女性は「いいのよ」とひとこと言うなり、きびすを返して桜の木を迂回し、庭の奥に向かって歩いていった。向かいながらmojoのほうを振り向いて、

「なにしてるの? いらっしゃい。家にまで入りこんだから、お茶ぐらい付き合いなさいな。そのかわり、とっておきの桜を見せてあげる」

なんだか、断りきれず奥へ足を進めると、ニスがほどよくはげたベンチとテーブルがあり、茶器の横にポット。キルトの保温カバーがかけられていた。

彼女はそれをはずすと、カップに湯気を豪快にたてながら、熱い紅茶を注いでくれた。

「紅茶っていうか、私が適当な葉っぱをまぜてつくってるだけなんだけど」

でも、それはとてもおいしかった。mojoには生姜が入ってるな、ということぐらいしかわからなかったが、少し花冷えのする日だったので、ノドから胃に落ちた紅茶が気持ちよく全身に温かさを運んでくれた。

彼女を見ると満足そうな顔をしていた。そしてこういった。

「昔はこの桜を見に近所中の人たちが集まったの。にぎやかでね。もちろん、このお茶を飲んで。子供たちもいっぱいきて、お菓子なんて1時間でからっぽよ」

そのときだけ、彼女は当時を思い出したのか、本当に楽しそうな顔をした。でも、直後にその顔が曇る。

「でもね、今はダメ。みんなバラバラになっちゃった。桜の木さえあれば、大丈夫って思ってたけど、ダメだわねぇ。昔、桜の木には特別な力があるって誰か言ってたけど、そんなの嘘っぱちね」

手に持ったカップが冷え始めていた。紅茶を飲み干すと、だいぶぬるくなった紅茶のえぐみが舌に嫌な感じだ残った。

「じゃあ、どうもありがとう」
なんとなく居づらくなって、庭を出た。外からはさっきと同じように満開の桜が、花を広げていた。

そういえば、とっておきの桜があると言っていたけど、あれは本当なんだろうか。気になってもう一度戻ろうと思ったけど、なんとなくやめた。

あの桜、今年もまたきれいに咲いたのだろうか。

コメント

  1. kohatchan より:

    淡いぼんやりとしたピンク。
    こだわりは何もないんですが自分で勝手に設定した色ってありますね。
    Pantone495CがMy桜カラーチップです(^_^;。

  2. mojo より:

    △kohatchanさん
    チップ懐かしいですねえ。僕も昔はある程度わかっていたのですが、さすがにそれほどスラスラ出てこないです(笑)

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