さよなら父ちゃん35 最終章

昨日で葬儀は終わったけれど、もう少し書いておきたいことがあるので記しておく。

父ちゃんの生い立ち

父ちゃんは大正、昭和、平成と生き抜いた。温和で誰にでも優しく、そのゆるぎない優しさが逆にとても強い人だと、mojoには思えた。

でも、その人生は外観の印象や性格から想像できるほど平坦ではなく、波乱に満ちたものであった。

大農家の12人兄弟の真ん中あたりに生まれた父ちゃんは、当時としては本やお菓子を時々買ってもらえる家庭で、幸せな部類に入る幼少時代を経験した。

ところが父ちゃんの父上の弟に子どもができなかったことから、小学生の時養子に出されることになったのだ。叔父の家とはいえ遠く離れた北国へたったひとりで出され、とてもつらかったと父ちゃんは話してくれた。

そんな環境で青年となり、就職もした父ちゃんの運命を再び変えたのが戦争だ。赤紙が来て最初は3ヵ月の訓練期間として呼び出されたらしい。ところが入隊したとたんに情勢が変わり、結局それから7年半も家に帰ることができなくなってしまったのだ。

終戦間際、父ちゃんの部隊はロシアに捕われ収容所に入れられてしまった。はるか遠く列車に乗せられ、寒く凍える土地まで連れて行かれて働かされた。

「小便をしようとしても手がかじかんでズボンのボタンがはずせないんだよ」

「毎日毎日、小さな黒いパンとスープだけしかもらえなくてね」

父ちゃんが教えてくれた収容所の生活はそうとうきつそうだった。現代に生きるmojoたちには想像しかできないが、きっとその想像をはるかに超える過酷さがあったのだと思う。

そんな収容所生活においても、父ちゃんは「らしさ」を発揮していたようだ。

ある日、父ちゃんがパンの配給を受けたところ体の大きな人に盗られてしまったのだそうだ。でも、父ちゃんは怒らなかったんだって。

「だってお父さんのように小柄な人間でもお腹が減るんだから、大きな体の人はもっと減るのは当たり前だよね」

また、現地の人にたいしても、

「どこの国でもいい人はいるよ。隠れて食べなさいって食料をくれた近所のおばさんもいたんだから」

父ちゃんが引き揚げる時、現地の人と結婚しないかと誘われたそうだ。でも、やっぱり日本の両親が恋しくて飛んで帰ってきたと言っていた。ただ日本についた時、本当は実の親のところに飛んで行きたかったけれど、涙を飲んで育ての親のところに向かったと教えてくれた。

どこまでも優しい父ちゃんに、どこか思い切りの良さを感じたり、強さを感じたりするのは、こんな厳しい体験をくぐり抜けてきたからだろうか。

そういえば亡くなる直前まで、「ありがとうはロシア語でなんていうの?」と問えば、すぐに「スパシーボ」と答えが返ってきたりして、92歳の記憶はなかなかのものだった。

公園での思い出

いつかパートナーと3人で出かけたとき、彼女が所用で1時間ほど離れた。mojoは父ちゃんと公園で待つことにしたのだが、その時に父ちゃんがポツリと言ったことがある。

「mojoさん、娘はずいぶんお世話になっているんじゃないのかい?」
「いやいや、病気したりして僕のほうが世話になってるぐらいだから」
「でもね、きっと私も娘もよくしてもらっているんだと思う。娘にいつもmojoさんにお礼を言うようにって言付けようと思ってるんだけど、そのことを忘れちゃうんだね、私は。だから、今言っておくね。ありがとう」

そんなことないんだ。いつも本当に僕の方が世話をかけてるんだと言おうとしたのだが、言葉がうまく出てこなかった。

父ちゃんは最後の最後までボケてはいなかったけれど、92歳だから水を止め忘れたり、何かの順番を間違えたり、多少は忘れてしまうこともあった。

だけど、わざわざこんなことを言わなくても父ちゃんの感謝はいつも感じていた。もちろん、mojoも父ちゃんに感謝していた。

けれども二人きりになったこの日、父ちゃんはどうしてもmojoに「ありがとう」を伝えたかったんだと思う。

僕がそれを心から受け取ったことがわかると、父ちゃんは急に泣き出してしまった。

ポロポロとポロポロと涙をこぼし、わんわん泣いた。子どもみたいに。そして泣きながら言うのだ。

「これは悲しくて泣いてるんじゃないから。うれしいから泣いてしまうんだ。本当だよ」

陽の当る午後の公園でmojoも泣けてきた。

介護と日本の将来について

今回mojoが体験したのは、自分の親でもないし、3月の心不全から数えても約半年と短い期間だったので、長く介護生活を送っている人には遠くおよばないだろうが、それでも介護というものについて、いろいろ考えさせられた。

まず自宅で介護するためには自分たちだけではどうにもならず、サポートが必要であること。これは必須である。自分たちだけでは、本当に何もできない。

家で看たいと身内を病院から出したはいいものの、数日内にまた病院へ戻す人がかなりいると聞いたが、そのくらい自宅介護というのはきついものなのだ。

そこでサポートが必要なのだが、そのためには介護認定を受けなくてはならない。これもなかなか面倒だ。

mojoたちの場合は病院の相談員に紹介された支援センターみたいなところを通してやったのだが、これも良し悪しあって、介護慣れしている人たちの中には自分でケアマネジャーを探して契約するなんていうことをしているのだとあとで聞いた。

介護においてはこのケアマネジャーの存在が重要で、ケアマネジャーを通して介護用具を手配してもらったり、要介護の度を上げてもらったりするため、ケアマネジャーと相性が合わないと介護していくのが難しく、mojoたちもたった半年の介護なのに2人のケアマネジャーについてもらった。

しかし、それでも介護についてはわからないことだらけだし、難しいことが多い。老々介護などが問題になっているが、高齢の方が実際に仕組みなどを理解できるのだろうかと心配になる。

そして日本は確実に介護社会へと向かっている。社会全体で考えていかないと大変なことになるなと今回のことで痛感した。

訪問医療の現状と自宅で看取るということ

今回、訪問医療をお願いして、まず最初に思ったのは、そういえばmojoが子どものころは近所の医師が往診してくれることが当たり前だったなあ、ということ。

それがまたいつの間にか違う形で復活しているということに今度のことで気付いた。

自分が世話になって初めて気づくというのも恥ずかしいが、よく見ると町を訪問医療の車がひんぱんに走っている。たいていは軽自動車で、機動力や費用で選ばれているのだろうが、気になり始めるとかなりの台数が走っていることに気づく。それだけ多くの患者が待っているということなのだ。

また訪問看護がビジネスとして成り立っていることも初めて知った。訪問看護は病院とくっついているのかと思ったら、専門の会社があるのだ。同じように病院を持たずに訪問医療のみをやっている医師もいる。

今回、訪問医療を頼み、看護師は毎日、医師は状態によってと当初いっていたが、結局こちらもほぼ毎日家まで来てもらい、大変助かった。ちなみにこのように医師が毎日来てくれるのは珍しいと看護師が言っていた。どんな状態でも契約通りの日しか来ない、きっちりしている医師も多いのだそうだ。

看護師や医師も実際の病院と同じように相性があると思うのだが、今回の場合は本当にいい医師と看護師に巡り会えた。患者のことだけではなく家族のこともよく考慮してくれて、精神面でもとても助けられた。

病院でも家族を支えるということを念頭に置いている医師もたくさんいるが、訪問医療ではさらにこの部分を考えなくてはならない。こちらとしては「先生、こんなに来てくれて大丈夫か?」と言いたくなるほど訪問してくれ、夜中の電話にも対応してくれ、その熱心さに頭が下がる思いだった。

超高齢化社会を迎えた日本では、今後さらに訪問医療が活発になっていくだろうと予測する。その時に、いい医師や看護師と再びめぐり逢えたらいいが、玉石混淆になるのは眼に見えている。願わくば、もう少しお互いが支えあえるような社会になっていてくれたらと思う。

そして病院ではなく、自宅で看取ることが家族の負担少なくできるような社会体制になれば、自分が死んでいく時、家族を看取る時、そして生活を送る毎日において、今よりももっと安らかな気持ちを得られるのかも知れない。

父ちゃんを送ってくれた葬儀屋は、教会へ行く道すがら、最近は1年に数件しか自宅で看取られ納棺がおこなわれる場所まで運ぶことはないと言っていた。数件とは本当に少ない。

今は、最後は結局病院で……ということになってしまうのだろう。家族の負担を少なくする看護システムがあれば、もう少し状況が代わり、人々の考え方、ひいては家族のあり方も変わってくるのかも知れない。

まとめようと思ったのだが、結局とりとめもない話の羅列になってしまった。でも、介護や訪問医療はmojoたちの年齢になると本当に身近に迫った問題である。重い病気と同じでみんな「考えておかなくちゃ……」とは思っていても、実際にその立場にならないと結局は真剣に考えることができない。mojoもそうだった。

このブログで書いたことが少しでも考えるきっかけになってくれればいいなと思う。

コメント

  1. 【篠の風】 より:

    「さよなら父ちゃん」、とても共感を持って読ませていただきました。ありがとうございます。
    わたしも今年の9月21日から16日間でしたが、義父を介護して見送ったばかりでしたのであらゆる部分で「そう、そう」と頷きながら読みました。

    わたしもその間、日記を書いてはいたのですが感情がむき出しになってしまい、ブログには載せておりません。もう一度読み直して mojo さんの域に少しでも近づけたらブログの空白を埋めたいと思っています。

    mojo さんもお書きになっているように「介護」はこれからは社会全体の課題です。いろいろな人に知っていただく手掛かりとしても 「さよなら父ちゃん」を一冊の本にまとめられたらいかがでしょう。 mojo さんの文章の底に流れる乾いた明るさが多くの人が持っている「介護」の暗いイメージを変えてくれるかもしれません。

  2. mojo より:

    △【篠の風】さん
    ありがとうございます。僕も篠さんの介護記録を興味深く読んでおりました。そうですね。これもまとめればどなたかの役に立つかも知れませんので、電子書籍化を考えてみます。

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